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移植に関わる人々

移植医からのメッセージ

本ホームページを見ていただき、ありがとうございます。
私は腎泌尿器外科医ですが、腎臓移植手術もするので移植外科医でもあります。
臓器移植は、臓器の提供者がいなければ出来ないという点で特殊であり、親しみのない医療と思っている方も多いでしょう。

しかし、国民のだれもが臓器の提供者になれるということを考えると、臓器移植は年齢や性別に関係なく、国民全体が主役である身近な医療と理解することが出来ます。
そこで皆さんに考えていただきたいことがあります。
年齢や性別を問わず、「その時」が突然、自分の身にふりかかることがあります。

「その時」とは自然災害、交通事故、急病など想定外に起こる身の危険を指します。
事前に出来る準備の1つが臓器提供についての自分の考えを伝えておくことだと思います。臓器を提供したい気持ち、したくない気持ち、わからない気持ちなどがあると思いますが、人の気持ちに正解も不正解もありません。

突然の「その時」のために、親族や家族で臓器提供について話す機会を作っていただき、正直な自分の気持ちを伝えておいてほしいと思います。
万が一の時は、自分で伝えることのできないあなたに代わり、親族や家族があなたの気持ちを我々に伝えてくれるはずです。

私はこれからも臓器を提供したい人と臓器移植を受けて病気を治したい人のお手伝いが出来ればいいなと考えています。

大分大学医学部 臓器移植医療連携強化事業
教授 安藤忠助 先生

献腎移植経験者からのメッセージ

「ドナーさん、私は今あなたと共に素晴らしい日々を送っています。」

若いときの健康管理の不注意か蛋白尿の数値が高い時もありましたが忙しさにかまけて治療に専念せずに若さで乗り切れると安易な考えで過ごしていました。しかし、腎臓は徐々に悪化していました。

35歳の夏 すでに手遅れで大学病院に緊急入院、人工透析が始まりました。この日から私の人生は一変しました。透析は想像以上の辛さで、制限ばかりの生活でこんなに苦しみながら生きている自分に価値はあるのか自己嫌悪に陥る日々が幾度もあり、もっと自分の身体を大切にいたわる事が出来なかったのか後悔ばかりでした。思い返せばこの頃の私は世の中から取り残され閉ざされた生活を送っていたような気がします。まだ年齢も若かったので病院の勧めで献腎移植登録はしていましたが腎臓移植の待機期間は15年前後と聞いていたので18年過ぎた私は半分諦めていました。

53歳の夏 大学病院から連絡がありドナーの方が見つかりましたが候補は4番目です。再確認ですが移植の希望はありますか?と聞かれ即答で「お願い致します」と伝えました。翌日二人の候補の方は医学的な理由で手術が出来なかったのですぐに検査するので来てくださいと言われました。結果、翌日に移植を行いますと言われた時は「信じられない…」その気持だけでした。術後は拒絶反応もなく順調でした。透析導入から半年で尿が出なくなったので移植後3日目に血尿混じりの初尿が20ccあり、トイレの中で涙した事は鮮明に覚えています。感激と同時に「ドナーの方の腎臓」で排尿出来た事が不思議でもありました。

移植してこの夏で5年目になります。かなりのブランクもありましたが再就職もしています。とても理解のある会社でいつも体調を気遣ってくれます。社会と関わりを持ち働ける事は本当に素晴らしい事だと思います。
若い男性としか聞かされていませんが人の役に立ちたいと「臓器提供の意思表示」をされたドナーの方、私の幸せの裏側で悲しみを背負わせてしまったドナー家族の方々に対して本当に志の高い方だったのだと改めて尊敬の念を抱く毎日です。移植の翌年に車を購入した際、感謝の気持ちを忘れないようにナンバー登録は移植日にしました。毎日車に乗る度に今日も頑張るので一緒にヨロシクね!と思いを込めて。

最後に手術の日から担当して下さっている主治医の先生や看護師さん、外来でも少しの体調の変化にも耳を傾けて下さり心よりお礼申し上げます。これからもドナーさんと毎日を大切に過ごして行こうと思いますので見守って頂ければ幸いです。
そして腎臓をいただいた私が言える立場ではありませんが、臓器移植の事を沢山の人に知ってもらい一人でも多くの方に「臓器提供の意思表示」をしていただけることを切に願うばかりです。

大分県在住 移植経験者